東京地方裁判所八王子支部 平成7年(わ)218号 判決 1997年2月19日
主文
被告人は無罪。
理由
一 本件公訴事実は、「被告人は、平成七年二月二一日午前八時ころ、東京都武蔵野市《番地略》甲野ハイツ三〇一被告人方六畳間において、殺意をもって、就寝中のA(当時二二年)の頚部に靴紐を巻いて絞めつけ、よって、そのころ、同所において、同人を窒息死させて殺害したものである。」というものである。
被告人及び弁護人は、被告人は犯人ではないとして無罪を主張するので、以下本件の成否につき検討する。
なお、以下において、「甲」、「乙」は検察官請求の証拠等関係カード記載の甲、乙番号を、「検」、「員」は、検察官、司法警察員に対する供述調書を、「上」は上申書をそれぞれ示し、年度の表示のない月日は平成七年の月日を指す。
二 本件事案の概要及び争点
(一) 本件事案の概要
関係証拠によれば、本件事案の概要は次のとおりである。
(1) 被告人は、平成六年七月ころ山梨県から上京し、そのころから都内吉祥寺のゲイバー乙山クラブ「丙川」でゲイボーイとして稼働し、同年九月一日から同店の従業員寮で二部屋ある公訴事実記載の甲野ハイツ三〇一に居住していたが、一月三〇日から、そのころ同店に調理担当者として入店した被害者と同居することとなり、被告人は四畳半を、被害者は六畳の部屋を使用していた。
なお、両名とも同性愛者(ホモ)であるが、両名間に同性愛関係はなかった。
(2) 二月二一日午後六時一二分ころ、被告人から、同居人である被害者が冷たくなって動かない旨の一一九番通報があり、被告人方に駆け付けた救急隊員によって、被害者の居室である六畳間の布団の上で、白紐(平成七年押第八一号の2。以下、「本件白紐」という。)で両手首を頭上で縛られ、頚部を紐様のもので絞められて殺害されたと思われる被害者の死体が発見された(甲1)。
(3) 同日、直ちに被害者の死体の検視や現場の実況見分が行われ、死因は頚部圧迫による窒息、死亡時刻は同日午前六時から午後六時と思われること、被害者の頚部に幅〇・二五センチメートルから〇・四センチメートルの索溝二条が、ほぼ水平に一部断続して頚部を一周していること等が判明し、被告人の居室の手提げ紙袋から靴紐(前同押号の1。長さ約一一五センチメートル。以下、「本件靴紐」という。)等が発見された(甲2、3)。
警視庁は重要凶悪事件として、翌二二日警視庁武蔵野警察署に警視庁刑事部長以下五四名体制による特別捜査本部を設置し、本件の捜査に当たった。
(4) 二月二二日昼から、杏林大学医学部法医学教室教授佐藤喜宣により被害者の死体の司法解剖が行われ、被害者の死亡経過時刻は、解剖開始時間(同日午後零時三〇分)から逆算して一日半内外であることや、成傷器は、比較的柔軟性に富む細紐のようなものであることが明らかとなり、また、その後三日間にわたって現場の検証が行われ、本件靴紐等が押収された(甲4、5、10)。なお、同教授は、三月一四日付け員により、解剖状況を説明し(甲7)、九月二七日付けで鑑定書(甲9)を提出している。
(5) 被告人は、前記通報後駆け付けた救急隊員や警察官から事情を聴かれていたが、その日午後八時半ころ、武蔵野警察署に任意同行を求められて、翌二二日の午前四時半ころまで任意の事情聴取を受け、その後、警察が手配したホテルに宿泊し、その後も連日同ホテルに宿泊し、警察車両の送り迎えを受けて武蔵野警察署で事情を聴かれていたが、同月二三日被害者の殺害を認めるに至り(乙2、12)、同月二五日に逮捕され、続いて勾留されて取り調べを受け、多数の上申書や供述調書が作成された。その間、被告人は、勾留質問後弁護人(本村健太郎)と接見した直後に、今まで喋ったことは全部嘘だと全面的に否認に転じたが、その日の取り調べでは再び本件犯行を認め、その後はその自白を維持して、三月一七日に起訴され、その第一回公判においても公訴事実を認める陳述をし、本件靴紐を展示され、これで被害者の首を絞めたことを認める供述をした。
(6) しかし、被告人は、第二回公判前の接見で弁護人に否認する旨述べ、第三回公判において犯人は自分ではなく、寝ている被害者を起こそうとして被害者が死んでいるのを発見した旨公訴事実を否認する供述をし、それ以降同旨の供述を続けている。
(7) 裁判所は、検察官の鑑定申請を採用し、平成八年二月二一日、帝京大学医学部法医学教室教授石山立夫に死因等について鑑定を嘱託し、それに基づいて同人により鑑定書が作成され提出されている。
(二) 本件の争点
本件においては、被害者を殺害したのが被告人か否かが問題となっているが、犯行の目撃者や被告人と本件犯行を直接結びつけるような物的証拠は存在しない。もっとも、被害者の両手首を縛っていた本件白紐や首を絞めたとする本件靴紐が存在するが、本件白紐と被告人との関わり、本件靴紐と被害者の首を絞めていた凶器との関係がそれ自体からは明らかではなく、直ちには被告人が犯人であることに結びつかない。従って、本件の成否は、被告人の捜査段階及び第一回公判での自白(以下、「自白供述」という。)の信用性如何にかかわることから、右自白供述の内容と他の証拠との整合性、被告人の否認後の公判廷での供述(以下、「否認供述」という。)の合理性を検討した上で、自白供述の信用性について判断することとする。
なお、佐藤喜宣作成の鑑定書(甲29)及び第八回公判調書中の同人の証人としての供述部分をあわせて、以下、「佐藤鑑定」といい、鑑定人石山立夫作成の鑑定書及び同人の当公判廷における証人としての供述をあわせて、以下、「石山鑑定」という。
三 被告人の自白供述の内容等
まず、自白供述の内容につき検討するが、その要旨は次のとおりである。
1 当初の自白供述(以下、「1の自白」という。)の内容
<1> 二月二三日付け上(乙12)
被害者が寝るのを待って、午前八時ころ、寝ている被害者の手を紐で縛り、自分の履いていたスニーカーの長さ約六〇センチメートル位の紐で首を一回まわして顔の下で絞めた。殺した理由は、被害者が部屋のことを何もしないし、貸したお金を早く返さないからである。殺した後、布団をかけ、被害者が寒そうだったのでストーブ二台をガンガンつけて部屋を出、自室で寝た。
<2> 同日付け員(乙2)
被害者と共同生活するようになったが、被害者は部屋の掃除、炊事等何もせず、被告人の物を勝手に使い、貸した金も返さず、男を連れ込んでセックスするなど勝手な振る舞いをしていたが、黙って我慢してきた。しかし、二月二〇日早朝男性を自室に連れ込み、セックスをし、当日夕方出勤した際には同僚にそのことを自慢げに話したので、自分への侮辱的言葉と受け取り我慢できなくなり、殺す決心をした。翌朝仕事終了後の帰り支度中被害者から前日とは別の伝言ダイヤルの男を連れていくかも知れない旨の断りをしてきたので、一人先に帰ったが、五分位で被害者も帰宅し、待ち合わせの男は居なかったと言って寝た。そこで、被害者を殺すため、登山靴を買った時受け取った予備の長さ六〇センチメートル以上の二本の紐のうちの一本と、山梨で買った運動靴についていた白い紐一本を用意し、ぐっすり寝入ったころを見計らい午前八時ころ被害者の部屋に入った。被害者は仰向けで、左手を頭の上に置き、右手を胸に置いてぐっすり寝ていた。被害者は自分より身体が大きく、腕力もあるので、気付かれて抵抗されては危ないと思い、抵抗できないよう、まず、右腕を頭の方に持ってきて左右の両手首を揃え、白い紐を、気付かれないよう外されない程度の強さに巻いて固結びをした。それから靴紐を二本に折って二重にし、被害者の頭の方に位置して、首の後ろを通して前で交差させ、紐の端を持ち替え、思い切り力を込めて両手を左右に引いて首を絞めた。被害者は両目を見開き、足をバタバタと動かし、両手を首のところに持ってきて、絞めている紐を懸命に取ろうとしてもがいていた。二〇分位絞めていたが、一〇分位した時、被害者の全身の力がガクッと抜け、ぐったりし、被害者の頭が自分の膝の上に乗っかかって来た。殺した後どうして良いか分からず、布団を顔の上まで隠れるように被せ、また寒いだろうと思い、電気ストーブ二台を点け、自室に戻り寝た。午後一時三〇分ころ起き、近所で買い物をして、部屋で食事をとるなどした後、死体の処理に困り、嘘をつけば何とかなると思い、午後六時近くに店のマネージャーに被害者が死んでいることを連絡したが、警察の取り調べを受け、嘘をついていることが苦しく早く楽になりたいと思い自分の犯行であることを話した。
2 その後の自白供述(二月二六日付け員(乙3)、同日付け上(乙13)、二月二八日付け上(乙14)、三月一日付け員(乙4)、同日付け上(乙15)、三月二日付け員(乙5)、同日付け上二通(乙16、17)、三月三日付け員(乙6)、同日付け上(乙18)、三月四日付け員(乙7)、同日付け上二通(乙19、20)、三月七日付け上二通(乙21、22)、三月一三日付け検二通(乙8、9)、三月一五日付け検(乙10)。以下、「2の自白」という。)の内容
1の自白と異なる主要な点は、次のとおりである。
被害者の生活態度等につき前記1<2>のとおり述べる他、被害者と生活するようになってから被害者を好きになり、掃除、炊事、洗濯をしてやったりしていたが、被害者は自分の気持ちを理解してくれず、逆にゲイボーイなのにホモ遊びをして面白いかなどと侮辱した上、部屋に帰ってこなかったり、男を連れ込んだりし、被告人は、惚れた弱みでじっと我慢していた。しかし、被害者が、二月二〇日、連れ込んだ男性を紹介したり、またその男性とのセックスを店で自慢し、更に、二一日朝も伝言ダイヤルの男を連れてくると言ったため(乙9、10。ただし、乙5、16では自分が犯人であることを隠すために伝言ダイヤルの男を犯人にすれば良いと考えた旨供述している。)、愛情が一気に憎しみに変わり、絶対許せず殺すことにした。前記1<2>の経過で部屋に帰り、どうして殺そうか考えた末、名古屋にいた時(平成二年ころから同四年三月まで)覚えたSMの方法を利用することとした。犯行に使った本件白紐は、二月一九日被害者の部屋で夕食をとった際落ちているのが目にとまり、SMプレイに使えると思い部屋に持ちかえっていたものであり、予備の靴紐も同時にSMプレイにも使えると思い持っていたもので、長さは一メートル以上はある。前記1<2>の経過で両手首を縛った上、万歳させるようにした被害者の両腕の上に自分の両膝を置いて座り、お尻で手の部分を押さえた。そして、靴紐を二つ折りにし、折り目の方を右手に持ち右から首の後ろを通して左側に出して首の上で交差してその両端を持ち替え、握った方を上向きになるよう下の方から水平に握ったが、力が入りにくく、かつ手から紐が抜けてしまうと思い、内側に向けるようにして両端を左右に一気に引っ張った。被害者は両目を開き、声をあげ、足をばたつかせ、一〇分位でぐったりした。手を縛るのに本件白紐を使ったのは、(靴紐より)少し太く、肌触りも良さそうで、手首に食い込まないからであり、また本件靴紐を二つ折りにしたのは、そのままだと長くて力が入りにくいし、二重巻きに似た二つ折りの方が締まりが良いと思ったからである。
四 自白供述の検討について
前記三から明らかなとおり、被告人の自白供述は、二月二六日を境に、動機や犯行態様等の重要部分が同性愛やSMプレイに関連づけて変遷していることが明らかであるが、以下自白供述の内容や、変遷の合理性の有無等の詳細について更に検討する。
1 犯行に至る経緯及び動機について
(一) 自白供述によれば、本件犯行は要するに愛情が憎しみに変わったというものであるが、その内容からみて自白に当たり殊更秘匿すべき事情とも思われないのに、1の自白ではそのようなことを全く述べておらず、また2の自白においてこのように変遷した理由についても説明がない。また、2の自白において、被害者が好きになり炊事、洗濯等をしてやったといいながら、他方で、被害者が炊事、洗濯等をしないなどと非難しているのも理解しにくいところである。
(二) また自白供述によると、被告人が店内で被害者の殺害を決意してから、実行するまで少なくとも二時間半が経過し、その間、被告人の殺意を強めるような特段の事情もなく、却って、被害者は結局伝言ダイヤルの男を連れて来ず、すぐに寝てしまっているのに、被告人は、殺害方法について思いを巡らした挙げ句、前記のとおりの方法で殺害を実行したというものであって、このことからするとその殺意は極めて強固であったと考えられる。
しかし、被告人が本件アパートで被害者と暮らすようになってから、約二〇日しか経過していないこと、被害者に二月六日から一三日までの間に三万三〇〇〇円を貸したほか、クリーニング代等三一五〇円を立て替えているが、二月一六日には二万円を返してもらっており、返してもらっていない金額も多額でなく、部屋の掃除をしないことなども、同居の解消等により容易に解決できることであり、直接殺意に結びつくとは思われないこと、被告人は、被害者の部屋を掃除したり、食事を作ってやることがあった他は、特に好意を示すような行動はとっておらず、被害者の行動について文句を言うなどした形跡も全くないこと、丙川でも普通に勤務しており、当日帰宅前被告人と被害者が真剣に話し込んでいたことが目撃されているが、喧嘩や仲違いしている様子もなく、周囲の者で、被告人と被害者の関係ややり取りなどに特に異常を感じた者はいないこと、被告人が信頼し、二月一八日甲府で会った友人のBによると、被告人は東京での生活は楽しいと述べ、同居者である被害者に対する不満や関心等を述べておらず、翌あるいは翌々週には上京するBらと再会を約していたこと、被告人は甲府で働いていた当時はひどい扱いを受けていたが、耐えていたことなどを考えると、被告人の供述する動機は殺人のそれとしてはかなり曖昧、薄弱で、ましてそれほど強固な殺意に結びつくものか甚だ疑わしいといわざるをえない。同性愛者の片思いがいかに深刻なものであるとしても、前記のような被害者の自慢話の域を出ない話に対して殺意を抱くというのもいささか納得できないものがある。
(三) 否認供述では、右のように変遷した理由として、最初書いた動機では駄目で、誰が読んでも分かるように書くよう(第四回公判)、他に動機があるんじゃないか(第九回公判)と言われ、合わせないとまた怒鳴られると思い、両名とも同性愛者であることから、考えて話した、と供述している。
2 犯行態様等について
被告人の自白供述によれば、本件犯行の手口は、<1>眠っている被害者の両手を頭上に上げさせた状態でその両手首を本件白紐で縛り、<2>その両腕の上に被告人が両膝や腰で乗って押さえつけ、<3>被害者の首を本件靴紐で絞めた、というものである。
まず、自白供述による本件犯行の経緯、状況、更には、被告人に前科、前歴がないこと等からすると、本件はある程度殺害方法を検討、準備した上での犯行であり、従って、本件犯行に使用した本件白紐や本件靴紐、犯行の基本的部分について、被告人が思い違いをしたり、また後日のため殺害を認めながらも他の重要部分につき殊更隠蔽し、あるいは虚偽の部分を交えようとしたとも考えにくいところである。
(一) 本件白紐と手首の縛り方等について
(1) 本件白紐については、その両端が結ばれているやや太めの白紐であり、その太さ及び形状から一見して運動靴の靴紐であるとは考えにくい。また、2の自白によれば、予備の靴紐が本件靴紐を含めて二本あるのにそのうちの一本しか持ち出さず、手首を縛るためにわざわざこれとは別の本件白紐を選んだだけでなく、これが二月一九日に被害者の部屋から持ち出してきたばかりのものであるというのである。そうだとすれば、その入手経緯につき尚更記憶違いなどするとは考えられないところであり、当初1の自白のように山梨で買った運動靴の紐である旨供述し、その後2の自白のごとく変遷していることは非常に不自然というほかない。
この点につき、否認供述で、被告人は、本件白紐はそれ自体見ておらず、警察の方でこれが手首を縛っていた紐であると言われたので、SMをやるために持ってきた旨嘘の供述をした(第四回公判)、本件白紐のことは知らなかったが、白紐が被害者の部屋から持ってきたことになったのは、本件白紐が靴紐でなかったらしく、2の自白になった(第一三回公判)旨取調官の誘導による趣旨の供述をしている。
(2) さらに、被告人は、<1>自白当初から一貫して、手首を縛ったのは、被害者に気付かれて抵抗されては自分の方が危ないと思ったからであり、手首に食込むことが少なく気付かれにくいように思われたやや太く柔らかい白い紐を選び、余りきつく締めると気付かれてしまうので手首から紐をはずされない程度の強さに巻いて固結びをした旨供述し、また<2>以前SMプレイで、両手を縛られて仰向けになって万歳をし、両腕の上に相手から両膝をついて乗られると全く逃げられなくなったことがあったことから、本件犯行でもその方法を使おうと考え、縛って頭上に上げさせた被害者の両手の上に、被告人が腰を下ろし、被害者が身動きができない状態にして、同人の首を絞めたとされている。
しかし、<2>の点につき、1の自白には、そのような供述はないばかりか、首を絞めつけると、両手を首のところに持って来て絞めている紐を懸命に取ろうとしてもがいた、絞め続けると被害者の力がガクッと抜け、その頭が自分の膝の上に乗っかかってきた旨供述しているが、これらは<2>の態様と矛盾ないし符合しないことが明らかである。
また、自白供述によれば、被害者は首を絞める段階ではじめて目を覚ましたとされているのであるが、被告人は、本件白紐で被害者の両手首を縛った上、更にその両腕の上に膝や尻を付けて動けないようにしているのに、それでも目を覚まさなかったというのは、いかに熟睡しているとはいえ、不自然の感を免れない。また、被害者の両手首、特に左手首より先の部分にはかなりの鬱血が認められ、絞殺時に被害者が暴れてさらに紐が締まったことなどを考慮しても、両手首が相当程度きつく縛られていたと考えられること、後記のとおり紐の縛り方もやや複雑で、縛るのにある程度の時間と手間を要したと思われること、縛った上自分の膝や尻で両腕を押さえるのであるから、もっと簡便な縛り方でも足りることなどを考慮すると、縛り方として後記のような方法を取ったことが<1>の被害者に気付かれないようにするという目的と符合するものか疑問の余地がある。
石山鑑定は、被害者が熟睡している場合や、被告人が手を縛るのに慣れていた場合などであれば、大した抵抗もなく縛りあげるのも不可能ではなく、被害者が気付かなかったことも十分に考えられる旨指摘するが、これは警察官から聞いた話に基づくものであるし、被告人が仮にいわゆるSMプレイをしていたとしても(公判ではこの点を否認している。)、それはマゾとして縛られ虐待される役であるというのであり、B証人によれば、不器用であるという被告人が、人を縛ることに慣れていたかは疑わしいし、石山鑑定によっても、被害者が覚醒する可能性も十分に考えられるばかりでなく、まして被告人はその上で両腕に膝等を乗せているのであるから、被害者が覚醒しなかったことの不自然さは免れない。
(3) 手首の縛り方について、被告人は、当初<1>頭上で万歳するような格好で左右の両手首を揃え白い紐でほどけないように固結びしたと供述していたが(乙2)、二月二六日以降は、<2>SMプレイで覚えた方法を使うこととし、「頭の上で両手を交さし白いヒモで二回まわしてしばり(乙3、13)」、<3>「左手でA君の両手首を持ち、左手に紐の端を持っておいて、右手で紐を二回巻いてから、手首の上の方でひもを結びました(乙4)」、<4>「ヒモを二回まいて左手首を一回まいて両手のあいだに通し、そのヒモを上までもって来てかたむすびにします。(乙21、22)」、<5>「両手の間に指先の方から肘の方に向けてひもをたらし、右側から両手首を一緒に二重に巻き、左側から手首の間にひもを通して上に出してしばる(乙8)」などと説明しあるいは図示し、三月一六日なされた再現実況見分(甲8)においては、<6>「手首に二回紐を巻き、右手に持った紐の端を、手首の間に下から通し、左手で押さえていた紐の端をAの左手首に一回巻くようにして手首の間に下から通し」、「紐の両端を、Aの手首の間で固結びをした。」などと指示説明して再現している。
本件白紐、甲三号証及び四三号証によると、本件白紐は、両手首の間から下(親指側)に抜け、両手首の外周を被害者の頭上方向から見て時計回りに二周半した後、再び両手首の間を上(小指側)から下(親指側)に抜け、外周する紐を回って折り返し、両手首の間に戻ったところで紐の両端がコマ結びにされていることが認められる。
この縛り方は、<6>の縛り方と一致するものであるが、<1>は抽象的で問題外としても、<2>及び<3>の縛り方とは両手を交差させている点や紐を二回まわしただけである点などで明らかに異なっており、<4>及び<5>の縛り方と比べても、これらが片方の端しか両手首の間を通っていない点で、紐の両端がいずれも両手首の間を通っている実際の縛り方と異なっている。
このように手首の縛り方の供述が次々と変遷し、内容が一般的なものから実際の縛り方に近づいている理由については、自白供述中には何の説明もなく、被告人の思い違い、説明や図示の誤りの可能性を考えても、不自然である。
(二) 本件靴紐と頚部の縛り方等について
(1) 本件靴紐の長さにつき、1の自白と2の自白との間に二倍近い差があることが明らかであり、数日の間にこのように靴紐の長さが大幅に異なることが不自然であることはいうまでもない。
この点につき、否認供述では、紐の長さは大体これくらいかと思い六〇センチぐらいと書いたが、同時二つ折りになっていたことは知らなかった、どうしてこのように靴紐の長さを異なって供述したのかは、全然考えてなくて、取調官の言うことに合わせていただけであり、自分が何を言ったか良く覚えていない旨供述している(第九回公判)。
(2) 被害者の首の絞め方は、凶器とされている靴の紐を二つに折り、被害者の首の後ろを通した後、両端を持ち上げ、首の上の方で交差させて持ち替え、その際、手を握った方が上向きになるように紐の下の方から水平に握ったが、そのままでは力が入りにくく、かつ、紐が手から抜けてしまうと思い水平になっている両手を内側に向けるようにして縦にし、両端を左右に思いっきり引っ張った、というものである。
佐藤鑑定、石山鑑定、甲二号証ないし五号証、一〇号証によると、被害者の死因は、頚部圧迫による急性窒息であること、紐状の凶器で頚部を絞圧したと考えられること、被害者の左側頚部にH型の傷が、右おとがい部に三個の表皮剥脱の傷があること、被害者の頚部には、頚部を一周する幅〇・三センチメートル内外の二条の索溝があること、被害者の頚部の周囲は約三五・五センチメートルであること、凶器とされている本件靴紐は、太さ約〇・四センチメートル(引き伸ばすと〇・二五センチメートル程度にまでなる。)、長さ約一一五センチメートルであり、右索溝自体は本件靴紐でも生成可能であること、本件靴紐は被告人の居室の茶色の手提げ紙袋の中から発見されたことが明らかに認められる。
しかるところ、佐藤鑑定は、「本件は被害者の頚部を紐一本で二周あるいは、二本で一周させて強く絞めたものであり、紐の交差点は、左側頚部のH型の傷の位置と考えられる。凶器とされる紐を二つ折りにして絞めたとすると、かなり手と首が接近した状態になる。H型の傷は、頚部を紐が一周し、紐が交差した際に同時にできたものと考えられるが、紐によってはできず、傷痕が湾曲していないので爪によるものとも考えにくく、犯人のほうで指輪なり、金属様のものを付けていればできるが、突起部分がH型をしていないとできない。H型の傷と索溝が紐により同時についたとすれば、紐に何か付いてなければならず、鋳型に取られたような金属あるいはプラスチックのようなもの、稜角のきちっとしたものによって圧迫された痕と考えられる。ループタイの留め金ではないかと思う。おとがい部の傷については、爪でもできる。」とし、他方、石山鑑定は、「本件は一本の紐状物を二つ折りにして頚部を絞圧したものと見られる。H型の傷は、少なくとも上下二つの異なる皮膚変化からなっており、その上部は、上から下に鈍体が作用することにより生じたもの、その下部は、前方部から後方部に鈍体が作用することによって生じたものであると認められる。成人の拇指の様に大きな指の爪が圧挫・擦過的に作用した場合には、大きな帯状の圧挫痕のみで弧状の爪痕が残らないのが一般的であり、H型の傷のうち上方部及び下方の後方部に存在している革皮様化部は、表面が粗造な鈍体が主として擦過を伴う圧挫性作用を及ぼすことによって生じたもので、下方の前方部は、表面の比較的滑らかな鈍体が圧迫するとともに急激に擦過作用を及ぼしたものであって、一平方センチメートル程度の狭い範囲に異なった性状の鈍体が作用を異にして作用したものといえるから、例えば爪のような粗造な鈍体と表面の滑らかな指の腹の部分が連続的に作用したとすれば無理なく説明できる。おとがい部の傷は、後方から前方に向かう数本の指爪による掻爬創であり、加害者によってつけられたものと考えられる。本件の索溝や傷等に合致する絞め方はいくつかあると思われるが、被害者の頭部側から同人の頚部に紐を通し、その両端を、左手は左側頚部付近で、右手はおとがい部付近でそれぞれ持ち、左側頚部については、左手で紐の一端部を握った状態で、拇指の爪の先端部が頚部を横走するように皮膚面に挫圧的に食い込ませ、それを支点として手を急回転させ、おとがい部については、右手で紐を握った状態で、その爪を皮膚面に食い込ませて、右上方に引き上げる方法で可能である。」とする。
被害者の左側頚部のH型の傷は、本件靴紐が凶器とする場合、佐藤鑑定では、自白供述からはその生成過程の説明ができない。石山鑑定によれば、本件靴紐が凶器であってもその生成過程の説明は可能であり、指摘する紐の握り方も合理的であるが、石山鑑定も指摘するとおり、その握り方は自白供述のそれに明らかに符合しない。結局、両鑑定によっては、本件犯行の際生じたと思われるH型等の傷と自白供述との整合性について、合理的説明ができない。
更に、自白供述によれば、本件靴紐が犯行に使用されたとすると、靴紐の長さが約一一五センチメートルで、二重巻きであり、被害者の頚部の周囲は約三五・五センチメートルであるから、両手で残りの合計約二二センチメートル(片方平均一一センチメートル)の部分を持って絞めたこととなる。これによれば、手で握る部分が左右合わせても二二センチメートルしかなく、相当握りにくかったであろうと思われるし、体力に勝る被害者が覚醒し暴れる場合には手が外れる可能性も考えられる。また、靴紐が二本あるのに一本しか持ち出さず、その一本を二つ折りにしているのも不自然である。
3 自白供述の問題点
以上検討のとおり、自白供述はその内容自体に不自然な点があるほか、犯行の動機、凶器の入手経緯、犯行態様等の重要部分につき1の自白と2の自白との間に看過できない変遷があり、なお、その変遷の理由についても何らの説明もなされていない。更に、自白供述では被害者の頚部に残された傷痕についての合理的説明ができないことも明らかである。
五 否認供述--犯行内容について
1 否認供述のうち犯行に関し自白供述と異なる点は、概ね以下のとおりである。
(一) 被告人は、男らしい人が好みで女っぽい被害者には好意をもっておらず、ただ余分に作った食事を被害者にあげたり、テレビを見るために被告人も使っている被害者の部屋を掃除しただけである。
(二) 二月二〇日朝、被告人は、仕事を終えて、伝言ダイヤルの男を連れて来るという被害者と店の前で別れ、一人で店から帰った。自宅に着いてから五、六分経って、被害者が帰宅した。被告人は、被害者から男を連れてきたと言われたので玄関に行ったが、その男は玄関の外にいたため見えなかった。
被告人が、自室に戻ると、被害者が、男を連れて被害者の部屋に入って行ったが、自室の入口の戸の透き間から黒い革のハーフコートと手袋、金のフレームのサングラスをした男が見えた。その男が手袋もサングラスも取らなかったことなどから、被告人は、変な人だと思っていたが、そのままベッドで寝てしまった。
(三) 同月二一日午後零時半ころ、被告人が、目を覚ましてベッドでぼーっとしていると、玄関のドアが閉まる音がした。被告人は、男が帰ったんだなと思ったが、そのまま煙草を吸ったりラジオを聴くなどした後、午後一時半ころ、買い物に行った。
被告人が自宅に戻ると、何か生臭いにおいがしたので自室や台所の窓を開け、被害者の部屋をのぞくと、ストーブがつけてあったので消して窓を開けた。その後、被告人は、被害者の部屋で食事をし、テレビを見るなどしていたが、その間、被害者は隣でずっと布団をかぶって寝ていた。以前にも、被害者が、布団をかぶってストーブをつけっ放しのまますごく暑い中で寝ていたことがあったので、不思議に思わなかった。
(四) 被告人は、午後六時ころになって、被害者が午後七時に店に行くことになっていたのを思い出し、被害者を起こそうとしたが、同人が死んでいるのを発見し、動転して店のマネージャーに電話した後一一九番に通報した。
2 その検討
否認供述には後記七のような不自然な点があることも否定できないが、他方、前記四1に指摘のとおり、被告人と被害者との間には愛情関係のもつれを疑うほどの事情は認めがたいこと、同性愛者同士とはいえ、被告人も被害者も女性役であること(甲24、乙8)、被害者はセックス相手を求めてその種の専用伝言ダイヤルに電話したり、ハッテン場といわれる場所に出入りしており、現に二月二〇日も新宿のその種の個室ビデオ店で知り合った福岡の受験生の男性を自室に連れ帰りセックスし、それを丙川の仲間に自慢げに話したりしており、被害者の手帳(前同押号の3)の二月二一日前後の欄に「SM night」の記載があり、被害者がSMにも関心ないし関与をしていた疑いも残り、更に本件白紐の結び方がSMの結び方の一つである可能性もあること等に照らすと、被告人がいう伝言ダイヤルの男の存在も一概に虚偽として排斥しがたい面があること等、否認供述に沿う状況もあり、その供述をすべて不自然、不合理として排斥することは困難である。
六 否認供述--取り調べ状況及び自白供述の経緯について
1 被告人が取り調べ等を受け自白供述に至った経緯の概要は前記二(一)のとおりであるが、その詳細は次のとおりである。
(一) 被告人は、二月二一日午後八時半ころから翌二二日午前四時半ころまで、第一発見者で同居者であったことなどから重要参考人として任意の事情聴取を受けた後、被告人方が犯行現場であることや友人宅も迷惑をかけることなどから、署内にいた丙川のマネージャーとも相談した警察の勧めで丙川近くのホテルを手配されて宿泊することを了承し、警察の車で送られ宿泊した。その後逮捕された二月二五日まで、右ホテルに四泊した。その間、警察の車で送迎されながら、二二日朝は午前一〇時ころから午後九時ころまで、二三日は午前一〇時ころから翌二四日午前二時ころまで、二四日は午前一〇時ころから午後九時ころまで武蔵野警察署で取り調べを受け、二五日も同様取り調べを受けて午後六時三〇分逮捕されたが、被告人は、この間の二三日午後一一時(被告人によれば、昼過ぎ)ころ、1の自白をして殺害を認めた。取調官は、幹部と逮捕しうるか検討したが、秘密の暴露的なものを得るまで慎重を期することにして、翌二四日午前二時ころ右ホテルに帰らせた。翌二四日も犯行内容をつめるなどして検察官と協議し、秘密の暴露的なものがなく逮捕しなかったが、二五日納得できる心証が得られたとして被告人を逮捕した。二月二七日の勾留質問の後本村弁護人が接見した直後、被告人は、今まで話したことは全く嘘だと犯行を否認したことがあったが、取調官の取り調べで再び自白に戻り、以後自白供述を維持していた。
(二) 更に、この間の取り調べや自白の経緯について、被告人は、「二一日の事情聴取に際し、二人の取調官から事情を聴取され、一人は自分の話すことを聴いていたが、一人は犯人と決めつけ、自分はやっていない、とか伝言ダイヤルの男がいたなどと言っても、本当のことを言いなさい、いつまで嘘をつくんだなどと言って全く聞き入れてくれなかった。当夜はホテルに宿泊したが一睡もできず、翌日も事件のことなどが気になって全く眠れないためひどく疲れ、二三日の取り調べでは、取調官は何を言っても頭から信用してくれないし、誰も面会にきてくれなかったことなどから、自分が言っても無駄だな、自分の人生なんてどうなってもいい、という気持ちになり、犯行を認めた。そして、上申書を書いたが、やっていない旨書いたら、すごく怒鳴られ犯行を認める上申書を書き直した。ホテル宿泊中は、その当初から警察官が部屋の入り口で見張り、電話も通じない状態で、二二日夜からはタオル等の備品も取り除かれた。また取り調べを受けている際、トイレに行くときは逮捕もされていないのに手錠等さえされた。犯行を認めると、取調官の態度はすごく優しくなった。二五日逮捕される時、取調官にどれくらい入るのかと聞いたら、三、四年で出れると言われ、マスコミにも出てしまったし、それ位ならいいかなと思った。そのような投げやりの気持ちから、起訴後ついた本件弁護人にも、また第一回公判でも罪を認める供述をしてきた。しかし、友人のBが自分の無実を信用してくれたので本当のことを言う気になった」旨供述する。
(三) これに対し、取り調べに当たったC証人及びホテルの送迎等に関与したD証人は、二一日の聴取が深夜まで及んだのは被告人の職業が夜の仕事で苦にならないということと被告人が事件解決に協力するとのことでその了解をとって行った、ホテルではドアの前にはいないが、一階にはいたかも知れない、自白した二三日からは自殺や逃走防止のため別室でだと思うが警察官が何人か付き添ったと思う、二二日も、その後も、被告人は顔色悪く眠れないと言っていたが、表情が非常に苦しく、必死にもがいているようで犯行につながるものを隠している感じであった、取り調べ中、犯人だろうということで押し問答をしたことも、嘘の供述を押しつけたこともない、自白後は笑顔が出て明るくなるなど変化した、自白は得たが、被告人は身体が小さく、他方被害者は若くて身体が大きく、眠っているとはいえ簡単に犯行ができるか問題になり、逮捕を見合わせていたが、二四日、紐の使い方と被害者の両手首を縛って万歳した状態でそこに座ってやると、全く抵抗できない状態になる旨の供述を得て、二五日、これに基づき犯行を再現させると、そのとおりであることが分かり、納得して逮捕した、刑期について、三年以上で裁判官が内容によって判断すると話したが、三、四年だろうと言ったことはない、否認の上申書を書いたので本当のことを言いなさいと言ったら自白の上申書を作成した(C)、二一、二二日は送迎だけで、ホテルに捜査員の配置はしておらず、二三日自白したので、自殺防止等の見地から捜査員を配置したが、外出を妨げる意図はなかった、室内には入らず、ドアの前には見張っておらず、電話の妨害もしていない、署ではトイレへは一人で行っている(D)旨供述している。
2 その検討
この点の被告人の供述にも後記七のように不自然、不可解な点があるが、
<1> 二月二一日の夜、翌二二日午前四時半まで事情聴取しながら、同日午前一〇時から取り調べを再開し、その後も、ホテルに宿泊させながら、連日長時間、特に二三日は翌日の午前二時まで取り調べをするのは、例え被告人の了解があったとしても、些か行き過ぎの誹りを免れない。
<2> また、ホテルの宿泊中あるいは取り調べ中等の行動が制約されたか否かの点についても、これを否定するD証人の供述はC証人の供述とニュアンスを異にしている。のみならず、被告人の友人であるB証人は、二月二四日テレビ番組で被告人が本件容疑者とされていることを知り、確認のため店のママに電話して自白したので逮捕された旨聞いたので、警察で事情を聞こうとして翌二五日午前中上京し、午前九時過ぎ武蔵野警察署へ行き、面会を申し込むと、被告人は自白したので逮捕した、土曜日だから面会はできない、と言われ、下着等の差し入れのみして帰った旨供述している。被告人が逮捕されたのは二月二五日午後六時三〇分であり、Bが面会を申し入れた時は任意に事情を聴取されていた時間帯になり、Bの右供述内容は被告人の前記供述を裏付けるものとなる。
<3> 逮捕の契機となったとする二四、二五日の被告人の供述ないし犯行再現内容に関するC供述については、その時点では手首の縛り方がそのように明確なものでないことは前記四2(一)(3)のとおりであるし、また本件につき前記三のとおり多数の上申書や供述調書を作成しているのに、他方において、二四、二五の二日間にわたりそのように決定的に重要な供述や再現を得ておきながら、その時点での上申書、供述調書、再現報告書等のこれを資料化した証拠が全くないのは何としても不自然である。同証人も、そういう資料を作成したか記憶がない旨供述しているが、不自然というほかなく、被告人が真実そのような供述をしたか疑わしいといわざるをえない。ちなみに、提出されている証拠(甲8)の被告人による犯行再現は三月一六日に行われている。
<4> その他にも、被告人がその調べを受けたと述べ、C証人が否定ないし曖昧な供述をする嘘発見器にかけたか否か、陰茎等に傷がないか聞いたか否か等についても、初めて警察の取り調べを受ける被告人にしてはその供述内容が具体的で、その機械の操作手法に合致し、また、捜査段階の鑑定を担当した佐藤鑑定もプロファイリングの手法によると本件は同性愛過程で生じたと考えていたことが明らかであり、これが捜査に反映していたことも十分考えられる。更に、被告人は本件靴紐に皮膚か何か付くらしく、これを洗ったり、しごいたりしたことはなかったか聞かれた旨供述しているが、これはその後明らかにされた、捜査段階で本件靴紐につき科学捜査研究所で何らかの鑑定がなされている事実(佐藤鑑定及び甲41)と符合している。このように、被告人の供述に沿う捜査状況があったことが窺われる。
以上によれば、取り調べ状況に関する被告人の供述を一概に排斥し去ることは困難であるところ、本件では被告人が当初深夜の取り調べやホテルの宿泊を了解しており、また公判当初事実を認めていたため自白供述の任意性は争われておらず、その証拠能力を否定するまでには至らないとしても、右のような取り調べ状況等は自白供述の信用性を著しく損なうものである。
七 否認供述--不合理部分等について
もっとも、否認供述は細部においてかなり変遷がみられるほか、<1>被告人は、被害者の頭上にあった目覚まし時計が午後三時に鳴ったのにこれを止めながら、すぐに起こさず午後六時前ころになって被害者を起こそうとしていること、<2>本件靴紐が紙袋の中にあり、これと揃いの靴紐だこれとは別個にスポーツバッグの中に置かれていたこと、<3>被害者が死亡し、隣室の住人すら異臭に気付いているのに、窓を開けただけで、長時間被害者の死亡に気付かないでいたこと、<4>室内のストーブを点けたか否かは被告人以外に知ることがないのに、一貫してその旨の供述をしていること、<5>最初に電話したマネージャーや駆け付けた救急隊員には、黒づくめの伝言ダイヤルの男の話を話していないこと、<6>如何に厳しい取り調べを受け投げやりになったとはいえ、当初本件弁護人に無罪を訴えず、また第一回公判でも犯行を認めていたこと、<7>友人のBが信じてくれるのなら犯罪者でないことを通そうと思った旨供述するが、Bが被告人と面会したのは四月二五日であるのに、その後開かれた五月一日の第一回公判で犯行を認めていること、そして以上についての説明が合理的とはいえないこと等否認供述等にも不自然、不合理な点があることは否定できないところであり、被告人が犯人ではないかとの疑いを残すものである。
しかし、否認供述等にそのような点があるからといって、前記五、六指摘の点が左右されるものではなく、もとより有罪が裏付けられるものでもない。
八 その他の事情の検討
1 検察官の主張の主要点について
検察官は、
<1> 自白供述は被害者の手首の特殊な縛り方や被害者の肘の部分に体重をかけて抵抗できないようにした状況等秘密の暴露あるいはこれに準ずる内容を含むもので、捜査官による誘導あるいは押しつけとは考えられない旨主張する。しかしながら、指摘の点がそのようなものと認めがたいことは前記のとおりであり、右主張はその前提を欠く。
<2> また、犯行時刻は捜査官が最も関心を寄せる事項であるところ、捜査官が誘導しようとしたならば、犯行時刻についても当時存した佐藤鑑定に依拠して当然二月二一日午後零時半ころとの誘導がなされた筈であるのに、被告人は当初から一貫して犯行時刻は午前八時ころとの供述が録取されており、これによっても捜査官による誘導が排除された取り調べがなされていることが明らかである旨主張する。
犯行時刻については、佐藤鑑定によれば二月二二日午後零時三〇分の解剖着手時までに二四時間前後経過したもので、ずれは前後二時間とされ、石山鑑定では二月二一日午前九時半前後とされており、これに対し被告人は自白当初から午前八時ころを犯行時刻として供述している。右犯行時刻は佐藤鑑定とは符合せず、石山鑑定と概ね符合するものではある。
しかしながら、甲四号証及び七号証によると、佐藤教授は、当初、死亡推定時刻は、解剖日である二月二二日午後零時三〇分現在で一日半内外で、死体現象から同月二一日の午前中だと思うとしていたのであって、それが修正されたのは、鑑定書(同年九月二九日付)及び公判廷における供述(同年一二月二〇日)等被告人の取り調べ終了後のことであること、捜査状況についての捜査報告書(甲1)には、死亡推定時刻については全く触れられておらず、その後も、犯行時刻についての追及や補充捜査は行われていないことなどに照らすと、当時、右自白は証拠と一致し、捜査官も特にその点を問題としなかったことが窺われるから、右自白は、捜査官の誘導の可能性を否定するものではなく、特に被告人の自白の信用性を高めるものということもできない。
2 犯行後の行動について
前記のとおり、自白供述、否認供述いずれによっても、被害者死亡後の被告人の本件犯行当日の行動が極めて特異である。
自白供述によれば、被告人は、殺害直後から一一九番通報に至るまで、死体の処理や自分の今後のことについて悩んでいたものと考えられるが、被告人が、いくらいい方法を思い付かずに考えあぐねていたとしても、そのまま寝入ってしまったり、その後買い物に行って日用品を買うなどしただけでなく、被害者の死体がある部屋で、その番組の内容まで後に詳細に供述できるほど熱心にテレビを見てラーメン等を飲食し、さらには被害者の炊飯器でご飯を炊いておにぎりを作ったというのは、極めて特異かつ不自然な行動と言わなければならず、犯人とは結びつきにくい。他方、否認供述によっても、犯人でないもののとる行動としても疑問があることは前記七<3>のとおりであり、結局、このことは有罪立証の決め手とはなりえない。
なお、検察官は、殺害後犯人が現場に長時間留まるとは考えられないことから、被告人の主張によって被害者の死亡時刻を判断すれば、二月二一日午後零時半前後とされるべきであるが、これは石山鑑定による被害者の死亡時刻同日午前九時半前後とは大きく矛盾すると主張する。
しかし、死亡推定時刻が石山鑑定のとおりであったとしても、被害者の死体の状況等からして、SMプレイ中の事故であり、少なくとも殺人ではなかった可能性もあるから、これにかかわった相手の男が、被害者の死亡を知ってその措置に窮し、時間をいたずらに経過させたという余地も考えられないではない。
したがって、検察官の主張の前提自体が必ずしも確定的なものとはいえない。
九 自白供述の信用性についての判断
以上によれば、自白供述は、説明できない矛盾や変遷を多く含み、秘密の暴露もみられない上、その取り調べ状況等にも問題がある一方、否認供述は、前記のとおり直ちに排斥することができないのであるから、自白供述の信用性は乏しいといわざるをえない。もっとも、第一回公判の陳述等は信用性に疑義を入れる余地のない状況でなされたものであるが、その陳述等が概括的である上、被告人がいう前記の取り調べ状況の影響等を考慮すると、その信用性を高く評価することも相当でない。
そうすると、その他の全証拠を検討しても、被告人が本件犯行を行ったことを認めるに足りる証拠はない。
一〇 結論
以上のとおり、被告人が、被害者を殺害したとは認めることができないから、結局本件公訴事実については犯罪の証明がないことに帰し、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 原田国男 裁判官 田中亮一 裁判官 小田島靖人)